クライミングからBCスキーまで、この地球にある山と自然を全力で楽しもうとする、とある人間の軌跡。

2025年11月20日

東京で生まれ育った人間が4年半富山に住んで感じたこと

event_note11月 20, 2025 editBy W.Ikeda forumNo comments

だいぶこのブログを放置してしまっていた。
思い返すとこの4年間、本当にいろいろなことがあったと思う。
2021年5月に東京から富山に引っ越し、今年(2025年)の9月に東京に転勤で戻ってきた。 

生まれてこのかた東京で生まれ育った自分が、東京を離れ、富山に暮らしたこの4年と少しの歳月に感じたことをこれから何回か分けて、言語化しておこうと思う。 


「山が近い」ことのメリット

今回書いておきたいこと、それは「山が近い」ことの功罪だ。 
富山の町からは山がとにかく近い。 

ランニングコースでもあった富山市内の呉羽山からの眺め 圧巻。

県庁所在地である富山市の中心部に暮らしていても、1時間〜1時間半もあれば馬場島、片貝、五箇山、小川温泉、立山駅、折立など主要な北アルプスの登山口へ行ける。

早朝に起きて、自宅から山の天気を見て、「きょうは天気いいから今日山行くか」と思って車を走らせて、北アルプスに行ける環境。なんと贅沢なのだろう。

白川郷某所 奥深い山域

5月の富山。水を張りたての田んぼの反射が美しい。

毛勝三山のスキー

山頂に静かな湿原が広がる白木峰

冬もスキーといえば1時間で立山周辺のスキー場や富山の里山エリア、2時間もあれば白馬や白川郷へ行ける。
そしてなんといっても普段生活する市街地からの北アルプスの展望がすばらしい。
ビルの合間、自宅の窓、カフェ、あらゆるところから山が見える。

春。残雪の山が美しい。
越中沢岳と薬師
冬の晴れた日の夕方は圧巻
海と3000m級の山の距離の近さも特徴の一つ

また山と里が近いがゆえに、山側の集落から都市部・住宅地までを連続的にとらえることができた。
自宅を離れると少しずつ家並みが変化して、田んぼが徐々に増え、平地が消え、山村となり、登山口へ。 
山は生活の延長線上にあるのだ。 

登山口から30分で市街地。富山湾越しに能登半島が見える。

山の麓に位置する八尾町。毎年9月の風物詩、風の盆。

この感覚は新鮮で、東京に住んでいた時みたいに毎週高速を使って住宅地から山までワープしていては味わえない感覚だと思う。
他にも「山から近い」と運転の距離も短くなる。
環境変動云々いわれている中で、「自然が好き」といいながら長距離運転でガソリンを使いまくるという、恐らく多くの登山者・スキーヤーが抱く矛盾感・罪悪感から免責される感じ。
これもよかった。 
こんな感じで山好き、スキー好きにとってメリットは山ほどある。

 「山が近い」ことのデメリット 

ではデメリットは何か? 

ざっくりこんな感じだろうか。
 ・雑穀谷・青海の2エリア以外、フリーの岩場が遠い
 ・車がないとなにもできない
 ・日常生活での山が近すぎ
・きれいすぎて山に行かずとも満たされてしまう

うち1つ目については雑穀もいい岩場だし、小川山まで4時間で行けるのであんまり問題ではないかもしれない。 
(ちなみに小仏渋滞みたいな渋滞が富山〜小川山間にはないので、その点では週末の復路はむしろ楽かもしれない。そして富山のクライミングジムのクオリティは高い。)

雑穀の岩場。シーズンは短いがいいルートも多い。

2点目も車を買えばOKということで無問題。 
3点目が問題 問題は3つ目だ。
東京にいたころは毎週週末の山をどうしようか考え、難しいルートへのモチベーションも高かった。

春。呉羽山に咲く桜と残雪の立山。

でも富山に暮らしていると山が近いのに、いや近いからこそ難しい山へのモチベーションが下がっていく
何度も言う感じだけど、日常生活で市街地から見える山が本当に絶景で、これがあればいいんじゃないかと思ってしまう。
山への渇望が消えていく感じ。

薬師・北ノ又はもはや裏山。

天気がいい日に休みが合えば、朝ごはんを家で食べて、ふらっと山に登り、下山して、帰り道に夕飯の具材をスーパーで買って、家出食べる。 
難しい山をやらずともこのルーティンだけで満たされるのだ。
(ただ、この変化は徐々にという感じで、富山に住んでも最初の1〜2年くらいは「難しいところ行くぞ!」とギラついていたと思う。)

有峰の秋

もちろんたまに沢に行ったり、マルチに行ったりしてハーネスも履くが、ハーネスを履いた回数は東京に住んでいる時より圧倒的に減った気がする。
いわゆる「山ヤ」としては弱くなってしまっていたかもしれない。

次第にハードなルートへのモチベーションがなくなっていく自分に焦りもあったし、これでいいのだろうか?と不安になる時もあった。

五箇山の里山へ向かう道中に出会った一コマ。

でも山登りってそういう感じでもいいのではないだろうかとも思う。
無理をして難しいところに挑む必要もない。

日常生活で気になった山、目についた山、気分が向いた山にふらっと登りに行く富山の生活が、それだけで最高に楽しければそれで十分なんじゃないかって。

ある日の帰り道にであった風景。剱の圧倒的な存在感。

なんとなくのイメージだけど、満たされたい「山ゲージ」みたいなのがある感じがしている。 
東京にいると日常生活では満たされないから毎週末頑張ってこのゲージを稼ごうとするけど、山が近くにあると日常の生活で少しずつこのゲージがたまっていて、週末に無理に稼がなくてもいい感じになるような。

この4年間、周りではいろんな事故もあって親しい人が難しい山で亡くなっていった。 
自分もシャモニーのドリュ北壁で結構ギリギリな目にあったりして、以前よりもハードなことへの心理的なキャパシティーも減っていった。

2023年3月 ドリュ北壁

その中で「強くならねば」的な焦りが緩和され、「楽しい山をのんびりやりたい」という気分のほうが強くなっていったと思う。
ゆっくりと「山ヤ」としては死んでいくかもしれないという焦りと、ちょっとした安堵感が共存するアンビバレントな心理状態。
躊躇いもあったけど、このままでいいなとも思えた。
(こう思えるようになった背景には、山が近いという要素以外にも、自らのペースで思い思いに山を楽しんでいる富山の素敵な方々に出会った影響も多分にあると思う。) 

剱の早月尾根。2月。

富山の生活を振り返って

くどくど書いたが、3点目はメリット・デメリットみたいな類いのものではないかもしれない。
自分にこのような変化が訪れるとは予想もしていなかったけど、ある種心地いい変化でもあったのは確かだと思う。
そして東京に戻った今、再び日常生活での山成分が不足して、少し「山を頑張らないと」的な焦りにも似た気持ちが再燃しつつある。

冬、稀に見ることができる、紫ともピンクともつかない独特な色を醸す剱。

ただ一つ言えるのは、当時の生活を振り返ると、本当にすばらしい時間だったということ。
ふとした時に見える美しい立山、山と里を連続的にとらえることができる感覚、日常の中にある山、本当に心地のいい日々だった。
東京に戻り2か月が経ったいま、これを書いているのはあの時間が恋しいからの証左でもあり、正直早く富山の生活に戻りたいからだと思う。

富山の里山には静かな斜面がたくさん眠っている。
パウダージャンキーの賑わいなど、どこへやら。
散居村の夕景。人々が田に手を入れ、維持しているからこその風景。

そして全国区の会社に勤めると転勤は不可避なものとして押し寄せてくるが、この日本的転勤制度を本当にストレスに感じるようになってしまった。
正直数年前までは「転勤いいじゃん、いろんなところ行けるし」と思っていたけど、いまは「居住地」という重要なファクターを自己決定できないのはいろいろしんどい。

富山県立美術館の屋上で

駅の最寄りの公園

半ば愚痴みたいになってしまったけど、地方に住むということを考える際、現実的な課題として押し寄せてくる仕事の問題。
これが最大にして最難の課題だろう。
逆に言えばこれさえクリアできれば、山好きにとって地方に住む選択は本当に魅力的なものだと思う。本当に。


ばくっとした話の羅列になってしまったが、富山にいたときに感じたことを言語化してみた、の回でした。
これからも不定期更新の予定です。