現在広まっているVR=Virtual Reality(仮想現実)という技術があります。
Covid-19の影響でインターネットでのバーチャルな世界は着実に広まっています。
そこでふと疑問が浮かびました。
登山がリアルな世界での行為である必要はあるのか?
VRでも登山が再現できれば、リアルな登山は必要なくなるのか?
考え始めると結構面白かったので、自分の思考整理もかねて。
目次
1 VRの要素
2 VRの世界は実在するか
3 VRで登山は達成できるか
4 VR登山の思考実験
5 リアルな登山の意味
§1 VRの要素
まずVRを構成する要素について整理しておきます。
なんとなくVRと言われて思い浮かべるのはヘッドフォンとゴーグル型モニタが一体になったヘッドセットのイメージがありますが、もう少し詳しく分解を。
VRの要素についてはこのサイトがとてもわかりやすく整理しています。
簡単にまとめると、構成要素としては
- 没入:ヘッドセットをつけて操作者の感覚をVR何の世界に近づけるもの。ディスプレイによる映像や音がそれに当たります
- インタラクション:操作者の行動がVR内の世界で反映されること。例えばアバターが自分の指示によってVR内で動いて、それによって周囲が変化することを指します。
- コンピューターによる生成:情報をコンピューターで処理してそれに基づいた世界を生成すること。
この3つが挙げられます。
例えばヘッドセットなどを使った最新のVR技術は3要素すべてを持っています。
3要素が実際どれくらい重要か考えるため、いくつか例を取ってみましょう。
例えばどうぶつの森など画面上でアバターを操作するゲームは、2と3のみしか満たしていません。その点で2要素のVR的なゲームといえます。
他にGoogleのストリートビューなどは画面内の世界を見ることは出来ますが、没入感がないのと、実際に画面内の世界で人に話しかけることなどはできない点で1要素のVR的なものです。
§2 VRの世界は実在するか
もし先に説明したVRの構成要素の3つが完璧に満たされている世界があったとします。
そのVR内の世界は実在するでしょうか?
映画マトリックスの世界のようにみんながまるでリアルなアバターを使用して、VRで生成されたリアルな世界に没入していたとしたら、そのVRの世界は本当に実在していないと言えるでしょうか?
哲学者のDavid Charlesはこの世界でVRの世界が実在すると説いています。
(詳しい記事はこちら)
リアルな世界での事象でなくとも、VR上の世界で起きることはある意味でリアルと区別することができないし、そこでの経験はリアルなもとと等しいと。
リアルな世界での生活が大半の私たちには一見信じ難いかもしれませんが、なかなかと反論しにくい命題です。
以上のようなVR世界が現実と同様に存在していると考えることをVR実在論と呼ぶことにします。
(哲学的な議論をする素地が自分にはあまりないので、紹介まで)
§3 VRで登山は達成できるか
以上をふまえてVRで登山が達成できるか考えてみましょう。
最初に現在の登山媒体について考えてみます。
例えば登山番組は、画面上で山の様子が映し出されてはいるものの(1)没入感はありません。
そして視聴者が実際に画面の中でかかわることも出来ないので(2)インタラクションも成立していません。当たり前ですが、自然の世界をコンピューターで再現しているので(3)コンピューターによる生成でもないでしょう。
つまり明らかに登山番組はVR登山ではありません。
しかしだからと言って、VR登山がまだまだ遠いものという訳ではありません。
例えばガイドの花谷さんはバーチャル黒戸尾根登山といったイベントをコロナ禍を受けて実施しています。
(あまり詳しくはわかりませんが、)使用媒体がzoomであることから2次元のディスプレイ投影型のため、少なくとも(1)没入感は満たしません。
しかし推測ですが、参加者とのやり取りがあれば(2)インタラクションは一部成立しています。
例えば、ツアー中のガイドに「○○を触ってみてください」などと言って実際に対応してもらえたらガイドが視聴者のアバターとして動いてその世界に関わることは可能です。
よってVR黒戸尾根登山ツアーは1要素の”VR的な登山”と言えるでしょう。
では残り2要素を達成した完全なVR登山は成立するのでしょうか?
2つの要素を順に検討していきます。
(1)没入感
現在開発されているVRのヘッドセットは、視覚と聴覚に訴えかけるものです。
痛覚や味覚、嗅覚、触覚に対応した機器はまだ作られていないのが現実です。
山にいるときの風や土のにおい、岩の感触、登った時の疲労感などを再現できない限りこの要素の完全な達成は難しいでしょう。
(3)コンピューターによる生成
自然の世界をコンピューターによって再現できるでしょうか?
この点もとても技術的には難しいと思います。
入り組んだ地形、沢やそこに転がっている石ひとつひとつを実際に仮想世界で生成することはそう簡単ではありません。
アバターで仮想世界を動くゲームなどはたくさんありますが、実際の自然界ほどの複雑性を持たせることは計算速度などの問題がありとても難しいでしょう。
§4 VR登山の思考実験
以上見てきた限り、VR登山はなかなかと現在では実現しにくそうですが、あえて技術的な課題がクリアされたと仮定します。(そしてVR実在論も仮定します。)
その世界では自分のアバターが仮想で構築された世界で登山をしているとします。
同じゲームをやっているほかの登山者とも会話可能で、実際に登る疲労感もVR機器によって提供され、その環境では世界中の山だけでなくVR世界内の空想の山も登ることができます。
ただ一つ違うのは、それをやっている”登山者”はずっと家のリビングにいて機材を身に着けていて、VR内で滑落したり遭難したりしてもゲームリセットになるという点。
このような技術があったら、実際に登山の意味はどこまであるのでしょうか?
例えばいろいろな山を知るためならこれで十分かもしれません。
ダイエット目的の登山も(もちろん技術的に可能ならすごいことだけど)これで達成できます。
極論を言えば、山の景色は見たいけど疲れたくはないと人にとっては(あるセンサをオフにしたりすれば)完璧な環境が整うでしょう。
それを考えると”VR登山”もありかもしれません。
しかし間違いなく”VR登山”を好きになれない人もいるでしょう(少なくとも自分はそうだと思います)
では理由はどこにあるのでしょうか?
ここで注意しておきたいのは、VR実在論を仮定しているためVR内での世界も実在しています。
VR内での成果はゲームをクリアすることと同じレベルの成功を認められるわけです。
そうすると”VR登山”ではなく現実世界の登山をする理由は2つくらいになりそうです。
あくまで仮想実験ですが、皆さんは”VR登山”をやりますか?
もしやらないならその理由は何でしょうか?
§5 リアルな登山の意味
§1~§4までいろいろとVRについて見てきました。
まとめると、VR登山が現在成立しない要因は
という点が挙げられます。その点で現在の”バーチャル登山”はあくまでVRの1要素にしかとどまっていません。
しかし、1点目の没入のしにくさに関してはヘッドセットなどで(視覚・聴覚の2つの感覚に過ぎずとも)達成される余地があります。
このような1.5次元的な(?)VRまでは十分達成可能でしょう。
このように逆説的に整理して考えると、リアルな登山の価値も変わってきそうです。
あくまでざっくりですが、リアルな登山の意味・魅力は(もしあるのであれば)以下のように要素分解できそうです
この結論皆さんならどう考えるでしょうか?
最近Covid-19によって様々な活動がヴァーチャルに転向しつつあります。
例えばオンラインの音楽ライブであっても視覚・聴覚以外の刺激は大事かもしれません。
しかしライブハウスやステージなどいろいろな環境が登山などに比べて限定的であるという点で、コンピューターでの再現性は高くなっています。
そして死や怪我のリスク(荒れたライブのダイブは例外?)もほとんど重要ではありません。
むしろ死や怪我のリスクなどないほうが好ましいでしょう(たぶん?)。
ライブだけではなく、VR美術館など様々ンエンターテインメントがヴァーチャルになる中、今は登山がリアルにとどまる理由を考え直してみるいい機会なのかもしれません。
2つの要素を順に検討していきます。
(1)没入感
現在開発されているVRのヘッドセットは、視覚と聴覚に訴えかけるものです。
痛覚や味覚、嗅覚、触覚に対応した機器はまだ作られていないのが現実です。
山にいるときの風や土のにおい、岩の感触、登った時の疲労感などを再現できない限りこの要素の完全な達成は難しいでしょう。
(3)コンピューターによる生成
自然の世界をコンピューターによって再現できるでしょうか?
この点もとても技術的には難しいと思います。
入り組んだ地形、沢やそこに転がっている石ひとつひとつを実際に仮想世界で生成することはそう簡単ではありません。
アバターで仮想世界を動くゲームなどはたくさんありますが、実際の自然界ほどの複雑性を持たせることは計算速度などの問題がありとても難しいでしょう。
§4 VR登山の思考実験
以上見てきた限り、VR登山はなかなかと現在では実現しにくそうですが、あえて技術的な課題がクリアされたと仮定します。(そしてVR実在論も仮定します。)
その世界では自分のアバターが仮想で構築された世界で登山をしているとします。
同じゲームをやっているほかの登山者とも会話可能で、実際に登る疲労感もVR機器によって提供され、その環境では世界中の山だけでなくVR世界内の空想の山も登ることができます。
ただ一つ違うのは、それをやっている”登山者”はずっと家のリビングにいて機材を身に着けていて、VR内で滑落したり遭難したりしてもゲームリセットになるという点。
このような技術があったら、実際に登山の意味はどこまであるのでしょうか?
例えばいろいろな山を知るためならこれで十分かもしれません。
ダイエット目的の登山も(もちろん技術的に可能ならすごいことだけど)これで達成できます。
極論を言えば、山の景色は見たいけど疲れたくはないと人にとっては(あるセンサをオフにしたりすれば)完璧な環境が整うでしょう。
それを考えると”VR登山”もありかもしれません。
しかし間違いなく”VR登山”を好きになれない人もいるでしょう(少なくとも自分はそうだと思います)
では理由はどこにあるのでしょうか?
ここで注意しておきたいのは、VR実在論を仮定しているためVR内での世界も実在しています。
VR内での成果はゲームをクリアすることと同じレベルの成功を認められるわけです。
そうすると”VR登山”ではなく現実世界の登山をする理由は2つくらいになりそうです。
- 死や怪我のリスクがない
- VR内の世界に意味を感じない
あくまで仮想実験ですが、皆さんは”VR登山”をやりますか?
もしやらないならその理由は何でしょうか?
§5 リアルな登山の意味
§1~§4までいろいろとVRについて見てきました。
まとめると、VR登山が現在成立しない要因は
- 没入の達成のしにくさ:視覚や聴覚以外の感覚も重要になってくること
- 複雑性:自然の複雑な世界を実際に構成することが困難である
という点が挙げられます。その点で現在の”バーチャル登山”はあくまでVRの1要素にしかとどまっていません。
しかし、1点目の没入のしにくさに関してはヘッドセットなどで(視覚・聴覚の2つの感覚に過ぎずとも)達成される余地があります。
このような1.5次元的な(?)VRまでは十分達成可能でしょう。
このように逆説的に整理して考えると、リアルな登山の価値も変わってきそうです。
あくまでざっくりですが、リアルな登山の意味・魅力は(もしあるのであれば)以下のように要素分解できそうです
- 触覚・嗅覚・疲労感などの視覚・聴覚以外の刺激
- コンピューター上では再現が難しい自然界の複雑さ
- 死や怪我へのリスク
- 現実世界への執着(現実世界とVRの世界の重要さがそもそも異なるのかは別として)
この結論皆さんならどう考えるでしょうか?
最近Covid-19によって様々な活動がヴァーチャルに転向しつつあります。
例えばオンラインの音楽ライブであっても視覚・聴覚以外の刺激は大事かもしれません。
しかしライブハウスやステージなどいろいろな環境が登山などに比べて限定的であるという点で、コンピューターでの再現性は高くなっています。
そして死や怪我のリスク(荒れたライブのダイブは例外?)もほとんど重要ではありません。
むしろ死や怪我のリスクなどないほうが好ましいでしょう(たぶん?)。
ライブだけではなく、VR美術館など様々ンエンターテインメントがヴァーチャルになる中、今は登山がリアルにとどまる理由を考え直してみるいい機会なのかもしれません。
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